2011年11月12日

認知症に対するリハビリテーション : 認知神経科学的根拠に基づくアプローチ(1)

タイトル:認知症に対するリハビリテーション

サブタイトル:認知神経科学的根拠に基づくアプローチ

※この記事は、平成26年末に加筆修正を行い、さらに内容を一部変更して、理学療法ジャーナル(医学書院)第49巻第4号(H27刊)に掲載されました。

http://medicalfinder.jp/doi/abs/10.11477/mf.1551200184


はじめに


認知症(老人も若年者も含めて)の人におこなわれる専門的なリハビリテーションとはどんなものなのか、すでに確立されたものがあるのかどうか、・・・実は筆者はよく知りません。医療の現場では積極的な認知症のリハビリテーションは行われていないし、福祉の現場では、それぞれの施設がユニークな取り組みを行っています。たとえば、回想法がよいとか、音楽療法がよいとか、いうように。
そうした努力の中で、高度の認知症の人にリハビリは必要ないという意見も見られる一方、「ぼけても心は生きている」と強調する意見もあります。
こんな手探り状態ではありますが、現場ではそれなりに効果が見られているようです。
では、認知症のリハビリを考えるとき、どのような考え方が必要なのでしょうか?何を根拠にどのようなリハビリを導入したらよいのでしょうか?
ここでは、認知神経科学の分野で分かってきた知見を基に、専門用語にこだわらずわかりやすく、独断と偏見を交えて考えてみることにします。
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認知症に対するリハビリテーション : 認知神経科学的根拠に基づくアプローチ(2)

認知症のリハビリの目的

まず、認知症の人にリハビリを行う目的とは何なのでしょうか?
認知症のケア(介護も医療もここでは区別しません)を考えるとき、筆者はいつも「もし自分が認知症になったら」と考えることにしています。そこに矛盾しないケアを考える、それが最善のケアだと信じているのです。
以前にお話ししたことがある(<附>「もしもあなたが認知症になったら」)のですが、認知症の人はだんだん自分が今までの自分ではなくなっていく不安と、社会や家族の中で自分の位置(立場や居場所)が失われていく孤独感を感じて生きています。断片的によみがえる過去の記憶も、楽しいことばかりとはいえません。失敗や傷心を伴っていることもあります。それらは「戻っては来ない」記憶ですし、もう一度体験するだけの若さもありません。頼りない自分、認知症が進むとそうした記憶すら浮かんでくることが少なくなります。対象のない焦燥感は怒りに転換され、怒りの対象を求めます。認知症の人の内面(心の世界)は、いつも孤独感の中にいるわけです。
そのため、認知症の人をケアするにあたっての共通した視点は「さびしがらせない」ということになり、楽しんでもらえるケア(リハビリ)、一人ぼっちにさせないケア(リハビリ)、思い出を語り合うケア(リハビリ)などが取り入れられるようになりました。
こうした取り組みは、どれもケースバイケースでそれなりの効果を上げてきました。しかし、こうした取り組みも長く続けていくと、取り組む主体者側にも疑問と焦りが見えてきます。「笑わせていくら」「楽しませていくら」で、人間の尊厳は満たされるのか、歴史に刻まれないとしても少なくとも地域や家庭を築いて守り抜いてきたこの人たちへの畏敬の念は失われていないだろうか…と。
認知症の人を包み込んでいる孤独な世界観は、自分がなくなる、位置が失われる、新たな体験をする意欲も出ない、といった種々の要因から生まれた結果世界であります。
つまり、認知症の人に対するリハビリの目的とは、自己の意識を高め、主体性と協調性を取り戻し、「自他共に生きる」自分を見出すことだと言えます。「さびしがらせない」ケアは、その具体策であって、私たちはさらにその先にある、リハビリの目的を達成しているか否かを検証することが必要です。続きを読む
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認知症に対するリハビリテーション : 認知神経科学的根拠に基づくアプローチ(3)

目的達成のための戦略

では、目的達成のための戦略とはどのような根拠に基づいたものなのでしょうか?認知症のリハビリはどこに注目して行うべきなのでしょうか?

そのためにはまず、認知症の人にはどんな障害があるのか、ここでもやはり、スタート地点に戻って考えてみることにしました。その結果、次の3点に着目することにしました。
中核症状に由来する障害
周辺症状に由来する障害
廃用症候群に由来する障害

認知症の中核症状といえば、記憶障害、判断力障害、実行機能障害、遂行機能障害、見当識障害、失行、失認などが挙げられます。これらは、主に大脳辺縁系や大脳皮質の連合野と呼ばれている領域 (前頭連合野、側頭連合野、頭頂連合野、後頭連合野)が分担している機能障害に当たることがわかります。
たとえば、前頭連合野の障害が目立つと遂行機能障害が、頭頂連合野の障害で失行・後頭連合野の障害で失認が、前頭葉底部や大脳辺縁系の障害で記憶障害がおこると考えられます。
一方、認知症の周辺症状は、幻覚・妄想、徘徊、異常な食行動、睡眠障害、抑うつ、不安・焦燥、暴言・暴力などで、これらは神経細胞の脱落に伴った残存細胞の異常反応であると考えられています。量的に少なくなった大脳辺縁系や連合野が、性格・環境・人間関係など、様々な要因が絡み合った日常の中で、オーバーヒートした状態と捉えることができます。
廃用症候群とは、病気などにより体を動かさない状態が長く続いたために起こる筋力の低下した状態を指し、寝たきりになることをいいます。前述の中核症状や周辺症状が脳の障害による症状であるのに対して、認知症にみられる廃用症候群は、意欲低下という中核症状に付随して、筋骨格系・循環器系などの身体的な機能が全般的に低下する二次的機能障害であると言えます。

さて、廃用症候群が、脳以外の身体機能の障害からくる症状とするなら、認知症の人に対するリハビリもここから始めたほうが成果が上がるのではないかと考えやすいですが、実際にはそうではなく、廃用症候群は「治療するのは困難で、長期間時間が必要」といわれます。廃用症候群に対するリハビリとは、運動療法が主たるものですが、感覚経路や運動経路の障害によっておこった運動機能の低下の場合と違い、認知機能の障害の結果として現れた運動機能の低下を改善するには、認知症のリハビリに運動療法としてのリハビリを加えるわけですから、さらに困難を極めることは容易に想像がつきます。それならば、神経再生は期待できないとされる脳の障害から来る中核症状は、リハビリで治療効果を挙げることなど無駄な抵抗にすぎない、治療者の自己満足に過ぎないことになるのでしょうか?
経験論から言えば、そんなに否定的になることはないと思います。廃用症候群にしても「長期間時間が必要」と述べたように、時間をかければある程度の満足度が得られる結果を生み出すことは可能です。その期間は半年以上に及ぶこともありますが。また筆者は、神経再生あるいは神経回路の再構築はあるというのが持論であり、それゆえに促通訓練も有効なリハビリなのだろうと考える一人ですから、脳の障害があるからといってあきらめる必要はないと考えています。現に、脊損で前医から症状固定といって見放された寝たきりの患者さんを杖歩行まで回復させたこともあります。

それでは、どんな方法論でこれらの障害と向き合い、リハビリの目的である、自己の意識を高め、主体性と協調性を取り戻し、「自他共に生きる」自分を見出すことを実現することができるのでしょうか?
上述したように、認知症の症状は、中核症状も周辺症状も、大脳皮質の連合野の働きと密接な関係があります。したがって、そのリハビリも連合野の働きを活性化するものとなればよいといえます。
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