2011年11月12日

認知症に対するリハビリテーション : 認知神経科学的根拠に基づくアプローチ(5)

連合野を活性化するリハビリプログラムとは

前頭連合野は・・・.gif

以上の事実から、認知症のリハビリを考えるうえで、大脳皮質連合野を活性化するためには次の点に注意してプログラムを作ることが重要です。

・できるだけ笑顔で和やかなムードを作る
人は指示された作業過程を大脳のワーキングメモリー(代表的な場所は前頭連合野)にイメージとして蓄え、それを元にして状況の変化に対応すべく情報の取捨選択と再構成を行っています。イメージを構成する素材は過去の記憶です。
たとえば、単純に目の前のクレヨンを持つように指示されたとき、指示の内容と一緒に指示者がどんな口調でどんな表情で指示したかを人は情報として取り込み、それにどう反応すべきか、どう反応したいかが記憶を元に選択されます。認知症の場合は、こうした感受性の記憶は最後まで保たれる傾向があるので、この指示者は自分にとって好ましい相手かどうかが最初に認識されるでしょう。

・できるだけイメージしやすいものにする
塗り絵という共同作業に参加したものの、クレヨンをもってどうすればよいのか迷っている人もいるでしょう。塗り絵といわれてもそれがどういう作業工程なのかをイメージしきれない場合です。記憶が衰えてきているのですから、そういうことは大いにあります。でも、「塗る」という一般的な、より単純な運動イメージは想起できると思いますから、塗る場所を指差して具体的にここを塗ってみてくださいと指示します。色を塗ることによって目の前に新しい世界がひとつ完成するのです。それは喜びにつながったようですか?達成感を感じているようですか?それが次の作業への架け橋です。

・できるだけ単純なものにする
積み木というと、どうしても幼児の積み木を連想して、壁を作ったり屋根を乗せたり、橋を作ったりと考えがちです。たてにも横にもさらには上下にも拡張させようとしますが、それは3次元的な考え方なのでやさしいテーマであっても作業は難しくなります。それよりは、ドミノのようにどこまでも長く立てていくとか、たてにどんどん積み上げていく作業のほうがよいでしょう。どんどん積み木を載せていくうちに、いつ倒れるだろうかとか、いくつまで載せられるだろうかと、そこにいる全員がはらはらどきどきさせている姿が見られることでしょう。新たな感動が呼び起こされます。

・なるべくグループワークを選ぶ
認知症の人にも自尊心と羞恥心があります。以前の自分でなくなったと感じている人では、むしろ余計にそうした感情に敏感になっており、これが連合野の活動に抑制的に働きかけています。こうした人は、グループの中に入ることを嫌います。人前で失敗したり、少しでも笑われたりするのが怖いからです。怖いからという理由付けではなく、失敗して笑われている自分をイメージしてしまうのです。こうした人は、普段の周りの人間や自分に声をかける家族や施設のスタッフの言動にも常にアンテナを立てて妄想へと発展してしまいます。失敗しても笑われてない自分のイメージを記憶させてあげる必要があります。ここなら失敗しても笑われないんだと思う場所を作らなければなりません。そうしたグループワークを用意する必要があります。「馴染みの仲間」と思える人ばかりのグループを作ることは非常に難しいことかもしれませんが。

・できるだけ慣れ親しんで得意だったものを選ぶ
書くことが嫌いなのにやむを得ず書いている人もいます、筆者のように。書いていればそこそこにうまくなるものです。それは別として、前は好きでやっていたのに、見るのもいやになって避けるようになってしまう認知症の人がいます。この方に、もう一度その趣味をやらせるべきか非常に迷うものです。実は避けるようになったのには理由があります。ひとつは意欲低下です。そしてもうひとつは思いがけない失敗です。認知症の人は遅かれ早かれ前頭連合野が傷害されます。それゆえに「知性」が衰え対象物や動作への関心が起こらなくなり、意欲の減退が始まります。また、自分には絶対にできるはずだったものができなかったときの精神的衝撃は、連合野に対して抑制的に働き行動を企画しようとする連合野の活動を妨げます。
認知症のリハビリ目的は、自己の意識を高めることにあります。それならば、自信を取り戻して意欲的に取り組む自分を見出さなければなりません。コツは、面白いと感じさせることです。絶対に失敗させないことです。アメを与えることもよいかもしれません。「これができたらお饅頭1個上げます、あ、Aさんはお饅頭が嫌いだから、Aさんにはドーナツを、さて、誰のものになるでしょう」といった具合です。

・無理をしない、できなくて苦しんでいたらほかの作業に移る
大脳辺縁系や連合野の細胞が脱落して減っていけばおのずと蓄えられていた記憶や情報は失われていきます。これらの記憶や情報は経験や学習によって蓄積されてきたもので、私たちが新たな行動や文章を表現するときに、比較参照の基となる、新たな行為のイメージを生成するために不可欠な部分です。例えば、最近どこでも見かけるようになったタッチパネル方式のモニターを想像してみてください。銀行に行ってATMのモニターに初めて指を触れた時突然画面が変わった、あの時の驚きを思い出してください。恐る恐るボタンを押す、そのたびに驚きがありませんでしたか?それに失敗して二度とATMには近づかなくなった人もいるでしょう。それは、初めての体験で私たちの脳には基になる情報がまだ蓄積されておらず、次に起こることが予測できなかったからです。しかし、今TVでしきりに流れるスマートフォンのコマーシャルを見ても、実際にその器械に触れても、多くの人にはあのATMの時のような衝撃的ともいえる不安や感動は起こりません。ATMとスマートフォンは似ても似つかない形状なのに、です。それは、タッチパネルとはこういうもの、という図式がすでに脳に蓄積されていて、スマートフォンを見たとき触れた時にATMと類似していることを脳がすばやく解析して過去の記憶を呼び戻しながら初めてのスマートフォンを操ろうとして指の動作のための脳内イメージを再構成しているからです。
つまり私たちは作業をする際に、常に先を予測して、心地よい結果になるよう脳内イメージをプログラミングして、言い換えれば思考して、作業を進めているのです。予測できなければ、先ほどの初めてATMの前に立った時の不安と驚愕を思い起こすしかありません。そこで2度とATMには近づかなくなった人のように。

・時間に余裕を持って取り組む
脳卒中で片麻痺になった患者さんの運動機能は、麻痺側はもちろん、非麻痺側でも、健常者より反応に時間がかかるという結果があります。これは急性期を見ていると明らかです。訓練と治療で徐々に回復しますが、程度の差はあっても反応遅延は残るようです。しかも、年月を経るとその結果は脳萎縮という形でもあらわれるように思います。つまり、脳卒中になると、将来、認知機能の低下が早く起こるということです。
話の焦点がずれてしまいましたが、認知症の人もこの反応に時間がかかるということは、だれもが認める事実です。リハビリの目的が「社会に適応できる」ようにするというのであれば、これは大変忍耐力と時間のいるテーマです。現代は、目まぐるしく変化してきました。おそらくこの数年間だけを振り返ってみても、その変化は目を見張るものがあります。3年前に、農村でスマートフォンを楽しげに操作する老人を見かけることができたでしょうか?それが今では、農村でひとかたまりの老人たちがスマートフォンを楽しげに操作し画面を見せ合い、写真を取り合っているニュースさえ見ることができます。この状況を見れば、老人といえども生活に必要で、かつ、楽しく取り組めるものであれば、新しい経験も獲得できるということがわかります。まさに、自己の意識を高め、主体性と協調性を取り戻し、「自他共に生きる」自分を見出すことができた結果といえましょう。しかし、それはほんの一部分にしかすぎませんし、反応に時間がかかるという事実を覆すものではないと思います。
社会の変化がどんどんスピードを上げていく中で、「まだ若いもんの世話にはならん」と言って頑張っている老人たち、そうしたスピード競争に疲れを感じそろそろリタイアしたいと感じている老人たち、さらには、すでにリタイアしてのんびりした余生を過ごしたいと感じてきた老人たち、それぞれの老人たちにふさわしい環境が望まれます。無理に一つの環境に押し込めるのではなく。
 
・なるべく会話を多く取り入れる
言葉を聞く、言葉を話すという行為は最も高度な脳活動のひとつではないかと思います。言葉を聞いて理解するためには、一つ一つの単語を理解するだけではなくすぐ前に聞いた言葉を、文章理解が完了するまで一時保存しなければなりませんし、話の全体を理解するためにはさらに文章自体も一時保存しておかなければなりません。これらはあくまでもその場限りのものですが一時保存ができなければ会話は成り立たないのです。同様に言葉を話すときにも、自分が言おうとする文章を構成し、前の言葉と次の言葉のつながりを考え、その言葉を発するために発音はどうすればよいか…私たちは考えないで行っている動作さえも脳は様々な分析をして口や舌や声帯などに指令を送っているのです。ここに相手のしぐさや自分の身振り手振りまで分析するとなると膨大な作業を脳は行っているということがわかります。それ故に、作業はできるだけ単純、簡単にして、会話を交えながら行うとよいと思います。感想を述べ合うこともよいことです。さらに「書く」という行為が加わると結果を形に残すことができます。
主体性と協調性を取り戻す絶好の機会となることと思います。 

・作話は言語活動ではあるが、花火のようなものである
認知症のリハビリを行う中で遭遇する場面に作話という問題があります。筆者は、作話は過去の記憶の小さな一片が打ち上げ花火のように打ち上げられ一瞬まばゆく広がったようなものだと思っています。きっかけとなるのは、その時の環境から受ける視覚的刺激であったり、聴覚的刺激であったり、さまざまです。
私たちが物事を認識するとき、物事を単なる事実や物体としてとらえることはなく、必ずそこには認識する側の「心」が関与します。情報の処理にもこの「心的イメージ」が加わりこれが蓄積されることで、私たちは選択を迫られる日常の場面で最適な行為を選択して生きているのです。
こんな認知症の老人がいました。1番目のお子さんが海軍に勤めているというのです。横浜の海軍にいると言うので、海上自衛隊の自衛艦に乗っているのかと思っていました。次のとき、「長男のお子さんは横浜にいるって言ってましたよね、他のお子さんはどうしてるの?」と質問したところ、「みんなばらばらで、2番目は東京で、3番目は小樽にいて、別々の仕事をしている」と答えたのですが、また次のときに「3番目の人は小樽で何をしているの?」と質問したところ、今度は、「みんな横浜にいる、みんな海軍で仕事をしている」というようになりました。海軍というのはどうも海上保安庁のことだったらしく、実際に息子さんのひとりは海上保安庁に勤務しておりましたが事務職で船に乗ってはいませんでした。勝手な憶測ですが、海上保安庁の事務職であれ制服を着て仕事をされておられると思いますし、その晴れ姿をお母さんに見せられたとき、お母さんは息子を誇らしく思ったことでしょう。その強いイメージが記憶として残り、いつしか制服姿の息子のイメージが浮かんでくるようになったのではないかと思います。「子供たちはみんな海軍にいる」との発言は、筆者が詮索したために混乱を招いた結果と言えます。
作話の内容は聴く側にとってとても斬新で興味のわくものであることが多くあります。それは話す当人の意識の中の強いイメージが元になっているからですが、前述したように、突然開いた花火のようなものですから、前後の脈絡もなく刹那的で時間的な連続性もないものばかりです。注意すべきは、あまりに唐突な話は、深く詮索しないこと、そして「あの時はこう言いましたよ」とその内容について追及を加えないことだと思います。それと同時に、自発的に話してくれる内容がどんなに唐突なものであっても、話し終わるまでじっと聞き入ることです。つまり、良く聴いてあげる、しかし、詮索はしないこと、です。
                                                                                             
認知症のリハビリを始めるにあたって、いかにして連合野を活性化するかに注目して考察してみました。それでは、具体的にどんな内容のリハビリを行えばよいかという問題ですが、今まで見聞きしてきたリハビリらしきもの、今まで行ってきたリハビリらしきものをもう一度見直してみてください。ここで述べてきた、脳の連合野の活性化という目的に沿って進めていけば、どれもリハビリとしてふさわしいものになると思いませんか?よく、どれが一番効率的なのかという質問が起こりますが、それはこれからの私たちの新たな視点に立った取り組みに追うところが大きいと思います。
posted by 99 at 02:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 認知症
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